ここは東京都荒川区荒川。
昔、この地域は、
愛知の三河から来た徳川家の殿様が鷹狩りをする場だった事から、
三河島と呼んだという説や、
荒川・古利根川・中川の
三つの川に囲まれた中州だったから
三河島と呼んでいた等々の説があるそうです。
でも現在は、三河島という地名は残されておりません。
駅名だけに残っています。
私は、行ったことのないその地名を、
「三河島列車事故」という言葉で
幼い頃に知りました。
1962年5月3日
夜9時半過ぎ
(国鉄)常磐線三河島駅構内で
貨物列車が信号を見落とし、
貨物線から本線に合流できず、車止めに乗り上げ脱線。
(三島駅は、貨物列車と旅客列車が分岐・合流する駅)
そこに、
上野から来た旅客列車が、接触。
車体が大きく傾いて脱線し停止した。
乗客は、事故車両から降りて
歩いて駅に向かった。
そこに、
反対側の列車が進入して来て
線路上を歩く旅客を
次々と跳ね飛ばしながら、
脱線している列車に衝突した。
という、
三河島駅近くの高架橋であった、
死者160人、負傷者296人を出す大惨事三重衝突事故。
今日は、
三河島事故慰霊碑のあるお寺浄正寺へ行って参りました。
慰霊塔には、
18歳で命を落とした、
私の母親の妹の名が刻んであります。
白いつつじはその事故があった土手から移植したもので、当時の悲惨を知る木だそうです。
毎年綺麗に咲くそうです。
日本舞踊紫派藤間流 藤間紫希波
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